東高木家屋敷跡に残る松の大木の保護!
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高木家には昔から沢山の大きな松の木があり大正生まれの父が通った小学校時代には沢山の松がまだ残っていたそうです。そんな松も戦後のものがない時代に燃料として切られ今では旧上石津町役場の跡地に残る1本だけになってしまいました。松と言えば海津にある木曽三川公園、千本松原が有名です。千本松原は宝暦治水に偉業を果たした薩摩藩の人達が植えたと伝えられています。その宝暦治水で幕府方の水行奉行をしていたのがこの上石津にある高木三家その東高木家の屋敷跡に残る松の大木、これも木曽三川の偉業を記念して薩摩から運ばれてこの地に植えられたのじゃないでしょうか。千本松原の守り松と言われていた大きな松が数年前に枯れてしまいました。そんな千本松原の松に次ぐ大きな松だった東高木家の松が今では今では一番大きな松になってしまいました。地元ではそんなことすら全然知られていません。ちょうど我が家の前にある松、ずっと大切に守って行きたいですね。私の部屋の窓からこの松が見えます。少なくとも江戸時代からある松の大木、幕末から明治、大正、昭和、平成ずーっと日本の歴史を見守っていたんですね凄い!ロマンですね。
2004年6月 この年は雨も多くて松も黒々 元気な姿です
2005年7月 太陽の光を一杯浴びて松も気持ち良さそうです 空の青さと木々の緑 目にも良いし酸素も吐き出してくれるし 緑がある生活って本当に素晴らしい!
2005年10月 こうやってしたから見上げると天にも届きそうな雄大さです この松は黒松、多良の地にはもともと黒松はありません やはり薩摩から持ってきた松なんでしょうか 宝暦治水って今から250年前だったですよね この松の横には伊勢街道(巡見街道)が通っています、ちょん髷をしたお侍さんもこうやって見上げていたんでしょうね 不思議だな
2006年2月 合併前にこの役場跡地も整備されることになりました。転圧されてアスファルト舗装にされます。
2006年8月 このようにアスファルト舗装されました。草も生えないし快適......って思っていました。
2006年11月 笙ケ岳も紅葉です綺麗ですね、松も葉が赤くなっているような
12月初めに行われた恒例の町内美化運動、松の木の下にはおびただしい量の松葉が落ちていました、見上げると枝の先がまっ赤か例年にない夏の日照り、消火栓から水をかけていたのですが、やはりアスファルトで水が浸透せず松にかなりのダメージがあったようです、これは大変、さっそく大垣市へ大切な松が枯れてしまう何とかしてくださいって連絡しました、流石大垣 次の日早速現地調査に来ました
2007年3月 予算がついたようで松のしたのアスファルトを剥いで水が浸透するように土を盛り踏み荒らさないように柵の準備がされています。よかったですねこれで松も水を一杯補給して元気に育ってくれることと思います。人間のためのアスファルト舗装植物には迷惑だったのですね。
そんな宝暦治水の時代からあったかもしれない「松」これを育てて薩摩へ里帰りさせようって運動も始まっています。
千本松原の松の実から苗を作り育てる そんな運動です。 そしてこの多良の松も実生で育てていますよ。
20007年 4月 まわりに石を並べ木の柵も設置されました
道路側にぽっかり開いていた穴には樹脂が詰められて修理されていました。
後はもう少し根元を掘り下げる処置をされるようですね。