東高木家屋敷跡の土蔵
東高木家で現存するのは、古い黒松と土蔵だけになってしまいました。
伊勢街道沿いに建つ土蔵を撮影しました。ついつい見過ごしてしまいそうな土蔵をご覧ください。
今私がパソコンを叩いている部屋から20mほどのところにある土蔵ですが、今までこんなにしっかりと見て写真撮った事なかったです。
西高木屋敷跡の坂を降りきったところに土蔵はあります
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南からみた土蔵です
南東側から見たところです
漆喰が大きく剥がれ落ちてしまっています
東側から見たところです
入り口には庇が付いていましたが、大雪で屋根から落ちた雪で捥げてしまいました
北側から見たところです
蔵の横は、伊勢街道が通っています
右側が北高木家の屋敷跡ですが、現在は石積みしか残っていません
伊勢街道から見上げた土蔵です石積みと一体化して綺麗ですね
西側は、庇部分の漆喰がかなり剥げ落ちています 樋も外れてしまってますね
西側の窓です
西南側から見たところです 
庇部分の垂木には縄が巻いてあります
高木家の紋が見えます
この土蔵は、文政年間といいますから1818年から1830年の間に建てられたものです、今から170年以上前に建てられた古い土蔵ですね。
一般的な歴史では、シーボルトが出島に来た頃です。
またこの土蔵はなまこ壁と言って瓦を貼り付けて漆喰を塗った壁で耐火・耐水のために施されているそうです。この型は「四半張り」という一般的な張り方で目地が斜めになっているので水切りがいいタイプです。
土蔵は火事の時に大切なものを守ってくれる耐火構造で窓も小さく西側に2箇所、東側に小さな入り口しかありません。東高木家の屋敷の一番端にあったこの土蔵は重要な建物だったんでしょうね。高木家は天保3年(1832年)に大火があり西高木家の表門、櫓門、裏門、埋門、土蔵、長屋、厩、下屋敷、門2箇所、家中屋敷が消失との記録が残っていますが、この東高木家の土蔵はその前から建っていることになり天保の大火も逃れていることになります。そんな重要な土蔵なんですね。
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