伊勢街道
伊勢街道と勝地峠

四日市から北陸方面に抜ける国道365線、道を行き交う車の多くが三重ナンバーです。
高校に通う頃養老の山の西側が岐阜県とは、誰も信じて
くれなかった事を記憶しています。確かに車で5分も走れば三重県員弁に抜けてしまいます。
北陸から関ヶ原を抜けて四日市へ抜ける国道365号が
昭和50年に国道に昇格する前、道の脇に「四敦国道早期実現」って看板が掲げられていた事を思い出します。文字通り四敦(よんとん)とは、四日市と敦賀を結ぶ国道と言う意味です。
交通の要所である関ヶ原で北陸方面からの北国街道、東からの中山道と交わり南への街道伊勢街道として古くから知られていました。
東海道、中山道の脇住還で、伊勢参宮の道、荷物輸送路、「御巡見道」としての役目を果たしてきました。関ヶ原から伊勢方面には、養老の山の東側を通る東ルート(伊勢東街道)と上石津から員弁を抜ける西ルート(伊勢西街道)が存在していまいた。
関ヶ原の合戦で敗れた島津隊がこの伊勢街道を通って九州へ逃げ延びたって話は有名です。
上石津トンネルが出来る前には、険しい多良狭の川沿いに岩山を削った道が造られていました。この道は軍隊が作ったんだよって聞かされた事を思い出します。更にこの道が出来る前は、上石津トンネルの手前一之瀬から山を越えて下多良に抜ける「勝地峠」が交通の手段でした。この勝路峠には芭蕉の「山路きて何やら床し菫草(スミレグサ)」って俳句の碑がが建てられていて、この句は今でも頭にこびり付いています。
高木家がある宮には字名として「街道」が付いています。

祢宜上にある旗本西高木家に使えていた大嶽家の土塀、やはり立派な石垣が積まれています。
大嶽邸入り口の門、普段は右の小さな門から出入りします。 宮にある西脇邸、塀と土蔵が落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
西脇邸入り口、立派な庭木が見えます
旅館大正館、現在は国道365号線バイパスに移転しましたが古き良き時代の旅館の風景ですね 旧上石津町役場の横にあった農協の倉庫です。私が小さな頃には、この敷地に役場、農協、そして道を挟んだ向かいには、 小学校の2階建ての木造校舎が残っていました。
東高木家の土蔵の横に伊勢街道の石碑が建てられています
この土蔵の横の坂が旧伊勢街道です
勝地峠にある伊勢街道の碑 勝地峠にある案内看板と石碑、石碑の横にあるのが旧道です 勝地番所跡の石碑
現在の整備された勝地峠
勝地峠の説明看板 芭蕉の句が書いてある石碑峠の少し下多良側(南)にあります
芭蕉の句「山路きて なにやらゆかし すみれくさ」 峠の一之瀬側にあった伊勢街道の石碑
上石津トンネルが出来る前は、この多良峡が交通の手段だったこれでも改良後で、道路の中心付近にあるアスファ ルトの切れ目が旧道路幅である、大型の行き違いは当然できなかった。この多良峡の道が出来る前は、伊勢街道最大 の難所と言 われた勝地峠である。
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